アンゼル蜂蜜

電車の中で、まるで絵本に出てくる象のような色(ブルーグレー?のかなり濃いめの)の婦人用鞄を見つけてテンションが上がった。可愛い。しかし、自分用に買うのならもう少し大きいのが良いななどという感想を持つ。

 

凡そ同期くらいの丁稚のおじさんが色々あって怒り狂って辞める宣言をして帰ってしまい、明日どうなるんだろうね、まあ前にもこんなことあったしな、と思いながらキンパ2切れを食べた。

 

コンプラのコの字もあったもんじゃない会社なので無論マスクの支給などはなく、マスク着用のお触書もなく、各自の判断に委ねられていた結果長らくノーマスクでまかり通させていただいてたのだが、宣言もあったしな、と今日からマスクを着け始めた。やはり慣れない。呼吸のたびに顔全体に、かかるわがこゝろなき溜息の。誰か情けに酌んでくれ。

しかしながら、情けなくも、“7〜8割の人間がマスクをしている状況“に於いて“マスクを着ける”ことがいかに自分を安心させるか。多数派は楽で居心地がいい。そこには自己の責任などは無い。自分の周りに人が沢山いるというのは、それだけでかけがえがなく感じてしまう。間違っていないのだ、という柔らかい大きな判を2つは押してもらったようなそういう頼もしい気分になるのだ。御高説拝聴有難うございました。

 

いざ実家へ。早めに来いと言われていたのにもかかわらず19時にただいまと抜かしたことについてのお小言が前菜。飯とコーヒーとロールケーキを食わしてくれるのなら安いもんで。昨日母と弟と祖母が墓参りに行ったらしく、写真を見せてもらう。それはそれは見事な桜が映っていたのだがiPhoneのLIVE PHOTOだったため祖母の声が一瞬入っており、しかもそれが「おれも死んだらあっこの墓入んのかね(祖母は石川の生まれなので一人称が“おれ”である)」で笑ってしまった。

あまりに笑っていたら弟の怪訝な顔が目に入る。割と志村けんの訃報などにちゃんとショックを受けているらしく、それに少しショックを受けた。わたしと弟は価値観というか根暗だけど人と話したりするのが嫌いじゃないところとか、そういう点であまり弟と大きく異なることはないのだろうなと思っていた、つまり弟のことも勝手に(表情の乏しさなどもあり)まあまあ冷淡人間だと踏んでいたのだがどうもそうではないらしい。すごいな。

 

車で送ってもらった。弟が助手席にいると楽。